8月9日、広島。人間の「生」と鉄道。

 まあ、ここからは、あんまり楽しい話でもないんで。ちなみに、タイトルは誤植ではないです。


 広島で1945年に被爆し、その後復旧し運転されていた路面電車の一部が、引退し博物館に展示されることになった、という話を聞き、見学にいってきた。


 広島市交通科学館に保存されることになった、元広島電鉄の654型という車両。今年の5月で現役を引退したといいます。広島電鉄では、近年「グリーンムーバー」シリーズなどの新車を積極的に導入し車体更新に積極的ですが、その一方で古い車両の性能が足りず、運行に支障をきたすこともあるのだとか。実際、車体は更新されているとしても、戦後もう60年を越える活躍となると、通常であればもっと早く引退の時を迎えていてもおかしくはないのでしょうね。


 展示は屋外にありました。子どもたちが変形自転車で遊んでいる片隅に、ひっそりと。電車は引退当時のままで保存されていて、後から付けられた冷房装置などはそのままです。側面広告用の枠が外されているぐらい。屋根もなく野ざらしなのが気になりますが、来年には設置される由。しかし、自転車のコーナーは有料なのに親子連れで結構にぎわっていますが、電車の周りには誰も近寄ってきません。小さい解説板がひとつあるだけだし、「被爆した」ということを除けば、見た目はふつうに走っているしない電車と変わらないということもあり、ここの子どもたちには興味のないものなのかなぁ、などとただ晴天の光の中、セミの声を浴びつつ考えておりました。


 個人的には、保存することに意義があるのは確かなのだけど、展示場所としてのこの場所には少し疑問を感じていました。なんといいますか、「科学館」だけあって、あまり時系列的な展示がなされていないこと*1、交通分野という意味でも、平和学習という意味でも、全く系統だった展示がなく孤立していること、などでしょうか。そうはいっても、当時、より良い選択肢はなかったのでしょう(どこかの公園で朽ち果てていくような様は見たくないので)から、大事にしてくれるであろうこの場所で、第二の車生を安らかに過ごしてほしいものと思います。


 本当ならば、永続的に動態保存していくことを願いたいところですが、一私企業ができることには限界があるでしょうし、せめてこれから先も、できる限り大事に、でも日常の一風景として見守ってあげてほしいものです。


 ちなみに、なぜ8月9日なのか。それは、ヒロシマに原爆が投下されて3日後。初めて、一部区間で電車の運行が再開されたとき、なのです。ちなみに、この車両ではないそうですが。でも、他の車両が、何かを頼りに、ヒロシマに生きる人たちの心の支えになったのだろう、そのとき、他の仲間と一緒に、彼らは再び戦列に赴くために、懸命な復旧工事を受けていたのでしょうね。皮肉にも、もう一つの街が地獄と化した日に…。



 …。
 ま、そのあと、上に書いた宮島に遊びに行ったりして、結構楽しんでいたんですけどね。宮島からの帰り、宇品の方へ電車を乗り逃走かな、という気持ちをなんとなく切り替え、何年かぶりに原爆ドームを見に寄り、しばらくたたずんだあと、さあ帰りの新幹線へと思うと、たまたまか同じ被爆電車の現役仲間がやってきました。それこそ行き先は駅ではなく宇品行きだったし、時間もなかったのだけど、とりあえず一駅だけでも、と乗ってみた。朝のラッシュ時ぐらいにしか使用されていないように聞いていたのだけど、時期もあるのか。ふつうに、人がにぎわい、何事もなく動き、去っていきました。そして思った。やっぱり、電車は生きもの、活きものなのかな、って。


 で、そんなことしてたおかげで、広島駅到着はのぞみ発車の8分前。土産もみれずに駅構内を猛ダッシュしてきましたとさ。やれやれです。

*1:この科学館自体にも、展示の仕方だけでない(いわゆるお役所的な)問題点を感じるけど、それはまた別のお話