ひさびさの読書メモ。047〜
この前の「ラノベ強化合宿・四国珍道中」に読んだ本たち。って、まだそこ書けてないけど。
「さよなら妖精」/米澤穂信/東京創元社(創元推理文庫)
1991年4月に始まる、遠い国からやってきた、ある「妖精」の話。
謎解き要素は散りばめられているけれど、これはミステリじゃなく、ライトノベルという感じでもなく、でも青春小説なんだろう。最後、ものすごく苦い、忘れられない余韻が残る、切ない物語。自分の過ごす今とは違う世界を少し覗かせてくれ、そして閉じられ。妖精は去り、知りたくもあり知りたくなかった現実を前にし、そして現実を受け入れるのか、彼はまた悩み、そして「大人」になるのだろうか。大人か、大人って何だ。
話に政治問題が絡められている*1ことと、そして同じ作者の『古典部シリーズ』千反田えるの意見*2に同意するので、残念ながら私は、とても切ない美しいこの物語を、好きにはなれなかったのです。何というか、禁じ手を使われたような感じで、読後感がもの悲しくて。
<はてな年間100冊読書クラブ 047/100>
「"文学少女"と死にたがりの道化(ピエロ)」/野村美月/エンターブレイン(ファミ通文庫)
やたらと人が死にたがる話である。
などというと、身も蓋もないのだけど。まあ、もう少しきっちり考えてみる。
しかし、これもこれで伏線貼りまくりで放ったらかしなので、おそらく続編が出るのだろうけど、こちらについては、もう少しなんらかの収拾をしておいて欲しいと思うところ。
太宰治の「人間失格」を通じて、人の命と依存心について考えさせられる内容、なのかな。自己を見つめなおせても、他者と向き合うことが出来なくなってしまい、そのため、彼らは自らを隠し、心を閉ざしてしまうことで、外界との接触を断ち、内面的な「死」に向かう。この危険性。思春期に良く考えてしまうことなのかもしれないけれど、そこを乗り越えることで、他者との関わり方に一つ新しい道が見えるのだと思うのだけれど。
結局は、他人の気持ちに共感できることの大切さ、そして危うさを体現しているのだと思う。一つ、「人間失格」と「“文学少女”と死にたがりの道化」の違いは、主人公の意識だろうか。「文学少女〜」のほうが、自らの死を自己の内面から選び出すことに対し、「人間失格」では「ただ一切は過ぎていく」と流されるまま、自らの死すら自ら選べずにいる。常に死にたいと考えているのに、心の奥で死に恐怖している。それが人間であるといえばそれまでなのかもしれないが。まあ、それがなぜかというと、「文学少女〜」の登場人物は、過去に対して既に一度死んでいるから(人外のなにかといってもいいかも)なのかもしれない。
この本に興味をもたれる方は、是非この本を読んだ後に、太宰治の「人間失格」を読んで欲しい。逆に読むのではなく。まあ、これだけ盛大にネタバレしといてどうだというところだけどね。
<はてな年間100冊読書クラブ 048/100>
「学校の階段」/櫂末高彰/エンターブレイン(ファミ通文庫)
「何故、階段を駆けるのか?」「そこに階段があるから」って感じの、何とも訳のわからないストーリー。う、なんというか、訳わかんない…。というか、あちらこちらに伏線は貼られているけど、今の段階ではほとんど明らかになっていないので、続きを読んでみないと…というところ。そもそも、何故階段を走っているのか、という時点ですらちゃんとわかってないからなぁ。なんとなく気分が高揚してくるというのは、わからないでもないけど。ラノベらしいというのか、読みやすいっちゃぁ、読みやすいけどね。まあ、そこそこ面白かった。ちゃんとした感想は、続刊全部読めてからかな。
<はてな年間100冊読書クラブ 049/100>